『せっかく心理学を学ぶのであれば、本場アメリカで学びたい!』という方は結構います。つい先日も、『日本の大学で学士号を取ったものの、もっと専門的なことは、本場で直に学びたい』という学生さんにお会いしました。

しかし、“実際にどうやったらアメリカで心理学者になれるのか” ということを心理学を学ぶ学生の方も含め日本ではあまり知られていないことに驚きました。

こちらのページでは、私の歩んだアメリカで心理学者になるまでの過程と実際に体験したエピソードを交えながらご紹介いたします。 特にここでは、臨床に携わる、臨床心理学博士になるためのプロセスについて説明いたします。


日本とアメリカの資格制度の違い

まず、日本と異なり、心理学者(Psychologist)と呼ばれるには心理学の博士号保持者(Ph.D., Psy.D., Ed.D.)であることが必要です。


実際、博士号のない人がアメリカでPsychologistと自称すると、法に触れます。日本の臨床心理士のように、修士号保持者のセラピストは、アメリカでは、Marriage and Family Therapist(MFT)、 Licensed Clinical Social Worker (LCSW)など、別の資格が与えられます。また、免許を取り締まっている機関も別で、Clinical Psychologistは、Board of Psychology(BOP)という機関であるのに対し、MFT, LCSWは、Board of Behavioral Science(BBS)という機関です。


日本の臨床心理士資格認定協会の「臨床心理士」を英語にすると、Clinical Psychologistになりますが、アメリカのClinical psychologistは、博士号に基づくもので、社会的にも精神科医と同等レベルの扱いで、もちろん心理カウンセリングに保険が適用されます。また、 Clinical psychologistが薬を処方できる州も増えています。刑事訴訟の精神鑑定などをするのも、Forensic Psychologist(法廷心理学者)という、特化した分野のClinical Psychologistの領域で(日本では精神科医が精神鑑定をします)、つまり、日本の臨床心理士と、アメリカのClinical Psychologistは、全く異なるものです。

いくつかの資格

心理学者になるためには、博士号のため、4~6年掛かるのに対し、MFTやLCSWは、修士号でよいため、2年で卒業できます。知識や訓練的に言 えばもちろん心理学者のほうがずっと有利ではありますが、現実的に、時間や金銭面の事情から、MFT、LCSWを選ぶひとは多いです。それから、 Clinical PsychologistもMFTもLCSWも、コミュニティーのクリニックや独立開業においては、実質していることはほとんど同じで(日本のように、心理テストを日常的にするPsychologistはあまりいません。心理テストを専門としたPsychologistはいますが、少数派です)、当然、 MFTやLCSWの心理カウンセリングにも保険は適用されるので、大きな遜色はありません。それから、博士号を持っていても、ひどい Psychologistは結構いますし、ものすごく才能のある、素晴らしいMFTやLCSWもたくさんいます。私が尊敬して已まない同僚や先輩セラピス トにも、MFTやLCSWの方がたくさんいます。私が指導していたMFTやCSWの院生にも、素晴らしい人たちはたくさんいました。それから、心理カウン セリングは、芸術、音楽、スポーツとよく似たところがあり、良いセラピストになるにはもちろん血のにじむような努力は誰にとっても必要ですが、才能による ところもかなり多いです。そういうわけで、アメリカで本場の心理学と臨床経験を、と思う方は、心理カウンセラーになることが目的で、アセスメントや法廷や 学校で働くことに興味がなければ、MFTやLCSWのプログラムを考慮するのも大いにありだと思います。カリフォルニア州にも、良い学校がたくさんありま す。それから、MFTやLCSWになるためにも、ものすごい臨床時間と訓練が要求されるもので、素晴らしい経験だと思います。私は臨床心理学者になりまし たが、やはり実際に従事しているのは治療なので、自分の歩いてきた道と、その教育と訓練のレベルの深さにはとても満足はしているものの、自分と同じように 問題なく働いているMFTやLCSWの人たちをみて、「あれ、MFTのプログラムでも良かったかも」などと思うことはあります。実際、私のクラスメートの なかには、Doctorと呼ばれたいから、という理由でPsychologistになるのを選んだ、という人が意外といて、不思議なものだなと思いまし た。

教育 / トレーニング

さて、アメリカでは、日本とは異なり、心理学者は州によって発行される有効な免許(Psychologist)を保持していないと、治療に従事することは できません。免許をこれから取る、博士課程の学生や無免許の博士号保持者は、免許をもっている心理学者の特定の条件下の臨床監修(Clinical Supervision)のもとにのみ治療にあたることができます。免許のガイドラインは、アメリカ心理学会(American Psychological Association)(この学会の名前はAPAスタイルなどで日本でも知られていますね。また、日本臨床心理士資格認定協会も、APAの倫理規定をモ デルにしています。とても良いことだと思います)に基づくもので、州によってかなり異なります。カリフォルニア州で心理学者の免許を修得するのは特に難し いといわれています。

インターンシップ制度

免許を修得するためには、まず博士課程を終了する前の段階(Pre-doctorate)に、カリフォルニア州では、1500時間の臨床経験が必要です (これも州によってまちまちです。ところで猛烈インターンであった私は、若気の至りで2500時間近く稼いでしまいました。しかしカウントされるのは 1500時間が上限です。まあものすごく為になった、ということです)。APAに認可された大学院のほとんどは、インターンシップ (Internship)という形でこれを卒業条件のひとつとしています。この臨床経験は、免許を持つ心理学者の下で、特定の基準を満たす種類のものでな くてはなりません。1500時間というのは、フルタイムで働いておよそ1年、パートタイムで働いて2年です。インターンシップはコミュニティーのクリニッ ク、病院、大学のキャンパスカウンセリングセンター、病院、更生機関(刑務所など)と、実にさまざまです。これは残念な話ですが、近年は心理学者になりた い人がアメリカでも急増していて、インターンシップのための競争は、熾烈を極めています。インターンシップにありつけない院生が増えています。これは、卒 業と直結するし、深刻な問題だと思います。

必須のポスドク

さて、このようにして無事に臨床心理学の博士号を修得したらそれでおしまい、めでたしめでたし、というわけではありません。次はさらに、Post- doctorate (日本でいう「ポスドク」とは意味合いが異なり、これは必須です)の1500時間を稼がなければなりません。これも、博士課程在学中 のインターンシップと同様、大学のキャンパスカウンセリングセンター、病院、コミュニティークリニックなど、実に様々な臨床現場のオプションがあります。 免許を持ち、独立開業している心理学者のオフィスで、Psychological Assistantという名目で彼らの下で働くひとも多いです。ここでの1500時間にも、厳格な水準があります。多くの場合、こうした就労に際して、州 のlicensing board(state board of psychology)という心理学者の免許を取り締まる機関への登録が必要です。

資格 / 試験

 さて、このようにして無事に1500時間のPre-doctorateの臨床時間と、1500時間のPost-doctorateの時間を無事終 了すると待っているのが、Licensing Exams (資格試験)です。Licensing Examsは、2段階に分かれていて、まず最初に合格しなければならないのが、Examination for Professional Practice in Psychology (EPPP)と呼ばれる、国家試験で、これは全米共通です。これはカナダにも共通の試験です。


この合格率は50%ほどで、試験勉強は正直なところかなり大変です。というのも、この試験は、範囲がものすごく広いからです。8分野に分かれていて、し かも、最新の臨床研究などで発見されたことがすぐに試験内容に反映されます(去年の5月に、DSMの最新版、DSM-5が出版されたことで、受験者は大き な不安を感じましたが、なにしろ20年ぶりの改定版で、DSM-IVしかしらない受験者は多いので、さすがにこれに関しては、期間限定の移行措置が取られ ています)。4時間15分の制限時間内に、225問の選択肢式の試験を受けます。この225問のうち、実際に採点されるのは175問で、残りの50問は、 次の試験のための参考データとして利用されるため採点されません。どの問題が採点され、どれが採点されないのかは、受験者にはもちろんわかりません。4時 間というとゆとりがあるように感じるかもしれませんが、実際に受けていると、かなりぎりぎりで驚きます(私が受けたときは、慎重にやりすぎて、最後の4分 の1は泣きそうになりながら大慌てで解いた記憶があります。幸い受かりましたが)。

受験勉強 / 国家試験 / 州試験

ところで、EPPPは、博士号を取り、最初の1500時間の臨床時間を修了した時点で受けられます。Post Doctorateの1500時間の臨床時間の修得を待つ必要はありません。私もPost Doctorateの1500時間の臨床経験を積んでいる途中で受けました。さて、この試験内容はものすごく範囲が広いといいましたが、そこには大学院で も習わないような内容がかなり出るため、試験勉強のために、どうしても、教材を購入するか、試験のためのスクールに行く必要があります。教材はとても高い ですが、スクールはその2倍近くします。私は経済的に余裕がなかったため、ひとりで勉強する教材を買いましたが、高くても、スクールのほうが人気がありま す。講師たちからの分かりやすいレクチャーや定期的なフィードバックがあり、また、クラスメートと励まし合いながら勉強できるので、挫折したりモチベー ションを失う確率が低いからです(これも余談ですが、EPPPや、次に説明する州試験の講師やトレーナーとして生計を立てているPsychologist も少なからずいます。予備校に通って医学部に入り、医師になって、予備校のカリスマ教師になるのと似ています)。採点は、200点から800点の範囲で、 500点が合格ラインです。TOEICの配点システムと似ています。

 

さて、この国家試験に受かり、 Post Doctorateの1500時間の臨床時間を修了(つまり合計3000時間)すると、2次試験の受験資格が得られます。2次試験は、州レベルのもので、 カリフォルニア州では、 California Psychology Supplemental Examination (CPSE)と呼ばれます。これは、臨床心理学、心理テスト/アセスメント、治療、治療倫理、臨床心理の法律などの内容で、これは100問の選択肢により ます。CPSEは、EPPPと比べて、範囲はずっと狭い代わりに、深い知識と理解を要求されるもので、紛らわしくていやらしい問題が多いです。受験日に よって合格点は異なりますが、大体80%を超えないといけません。合格率は、EPPPと比べて高いです。それで、EPPPに受かったからといって油断して 落ちてしまった、という人の話を結構耳にします。油断は禁物です。

 

面白いことに、この試験は、合格者には点数が 知らされず、不合格者のみに知らされます。しかも、コンピュータ式のため、受けたその場で結果がわかります。私のときは、合格ラインが83%でした。私の 場合、移民法の事情で、決して失敗が許されない状況で、落ちたら一巻の終わり、帰国するしかない状況だったので、試験を終え、通知をプリントアウトしてく れる試験官のところに向かうときは、もう生きた心地がしませんでした。絶対に落ちるわけにはいかないもので、制限時間ぎりぎりまで何度も何度も見直したた め、その部屋に残っている受験生は私が最後でした。しかも、何しろどれも正しそうな選択肢の問題や、どれも間違っていそうな問題が多いもので、自分がどの くらいできたのかはわかりません。そんなわけで、心臓はバクバクし、顔面蒼白、軽い吐き気すら覚えながら試験官のところにゆっくり歩いていきました。試験 官は、ポーカーフェイスで結果を印刷して手渡してくれます。合格通知と不合格通知で表情を変えないことになっているのでしょう。私が受け取った通知書に は、「おめでとうございます。合格です。83%を超えました」のようなことが書かれていました。なんだか現実感のない心境で、しかし嬉しく、私は思わずそ の試験官に笑いかけると、彼は厳しそうな表情を崩して、静かに笑い返してくれました。私は足に脱力感を感じながらその部屋を出て、ドアを閉めると、すぐに 壁にもたれてしゃがみこんでしまいました。自ずと涙がこみあげてきて、誰もいない廊下で、それまで歩んできた長い長い道のりを思い出していました。しばら く立ち上がれませんでした。

生涯学習

さて、これで晴れて免許取得、めでたしめでたし、というわけにはいきません。心理学者の免許は、2年ごとの更新制で、毎回、更新時までに、36単位の、特定の水準を満たしたContinuing education(クラス、ワークショップ、オンラインの授業など)を修了していなくてはならず、つまり、心理学者でいる限り、勉強は一生続くというわけです。


心理学者になることも、心理学者で居続けることも、大変なことですが、本当に素晴らしいことだと思います。